2018年11月4日日曜日

七五三

カラフルな着物を着つけられた女の子を朝の通勤中に見かけた。
お母さんとおぼしき人に手を引かれて
歩きにくそうにゆっくり歩いていた。

するとふと思い出した自分の七五三の記憶。
私は今朝見たその女の子のような着物を着て大泣きしていたのだった。
母は着物が苦しくて機嫌が悪くなったのだねと言っていたから、
その当時私もそうだったのかな?と思っていたが、
よくよくあの時の事を考えると母の言い分にひっかかりをおぼえる。
違う、私が7歳にしてあんなにも泣いたのは着物のせいだけじゃない!
なぜだっけ?
そうだ、自分が見世物のように思えて怒っていたんだ。

着物で身体を縛り付けられてただでさえ面白くないのに、
私は笑顔を強要され写真を撮らなければいけなかった。
それがとても不快だったのに、ジジババ連中は喜び
わたしを見てはニコニコしてくる。
だから私はもう赤ちゃんでもないくせに、大声で叫んで泣いた。
そして唇の真ん中にだけ紅を落とす化粧も気に食わなかった。
唇全体にぬれよぉ!って思った。

七五三の意味も、我慢してニコニコする意味も
自分の気持ちに反してみんなは笑っている意味も、
わたしには分からなくて。
分かっていない不機嫌な私を大人たちが
生ぬるく嘲笑ってるかのようにも思えてしまった!

成長を祝福したい気持ちも
その節目を記念に残したいという思いも、
愛も、
愛ゆえにかけるお金も。
子供心には迷惑に感じて感謝する対象にすらなれない。

だって子供なのだから。

祝い事なぞは大抵大人の気持ちを中心に作られた事であるのは確かだ。
自分が大人側に立ってみても、祝い事は苦手であるが。

自分が親になれるかは分からないけど、
もしなったとしても、子供の立ち位置からの気持ちは
なんとなくでいいから忘れないでいたい。